最後のパシフィック C59

重野 誉敬

 パシフィック。言うまでもなく軸配置2C1のテンダ式蒸気機関車のことである。日本で最初のパシフィッウ垂蒸気機関車は1911年に米国アメリカン・ロコ社から輸入された8900形である。この時は英国及びドイツにも同様に蒸気機関車が発注されていたが、国鉄が提示した仕様書では2C(テンホイラー)形とされていたにも関わらず、主にボイラ関係の利点からアメリカン・ロコ社はこのような形にしたとされている。

 その後1919年に国産物のパシフィック機として18900形、後のC51形が登場する。この機関車では狭軌としては世界最大の1750mm径動輪が採用され、以後C53、C54、C55、C57とこの寸法が日本におけるパシフィック機の動輪寸法の標準となった。例外は前述8900形及び3シリンダ式の試用として米国から輸入された2形式のみ(いずれも1600mm)である。

 C59形はそれまでの東海道・山陽線における主力機関車であったC53形の後継として設計・製作された。機構が複雑で製造上・保守上の間題点が多い3シリンダ式ではなく標準的な2シリンダ式を採用した。しかしながらボイラの大型化及び圧力の向上(14kg/cm2→16kg/cm2)などにより、C53形を上回る性能を持つ。

 C59形の1号機は太平洋戦争を目前に控えた1941年5月に汽車会社で落成した。この機関車は汽車会社の製造番号1993号機となる筈であったのだが、一号機を製造番号2000番とし、以下3号機まではこの続番とした。ほか、川崎車輌、日立製作所でも製造され、昭和18年末までに100両が製造された。

 終戦後も昭和21年から旅客用機関車として本形式が製造された。戦後製造されたC59形はボイラ構造や炭水車などに大幅な仕様変更が行われている。しかしながらC62形の登場により本機の製造は173両をもって終了し、一部発注分はキャンセルされた。このため133号機〜155号機は欠番となっている。

 本機以降の旅客用蒸気機関車は軸配置2C2のハドソン形となった。本形式も47両が従輪を交換しC60形となっている。しかしながらハドソン形は火室下の従輪周りが窮屈であるように感じられてしまうのは筆者だけであろうか。

参考文献:鉄道ピクトリアル1959年2月号,1964年9月号


ぐゎ。めちゃくちやつまらない文章になってしまいました。ごめんなさい。当初は汽車会社の高田隆雄氏はついてなどを書こうと考えていたのですが、資料不足で断念しました;_;
 次回、いよいよハドソンに突入。さてどうなる!?

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Published on 2001/12/30 / Last updated on 2004/12/30
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