まさに正夢

大海原 洋(おおうなばら ひろし)


 東京の郊外に水川鉄道という小さな鉄道がある。この鉄道、20 年ほど前までは大手私鉄の一路線だったのが、合理化とやらで分離独立させられたという経緯を持っている。その鉄道の終点から 3 つ手前の駅が深森駅。ここの駅員は終点の駅から 2 人だけ派遣されてくる、そんな駅である。

 ジリジリジリジリジリジリ……
 きっぷの雨が降る中、窓口から出ようと悪戦苦闘するという、なんだかよく解らない夢を見ていたボクの耳元で目覚しが鳴る。いきなり虚構の世界から現実の世界に引き戻され、条件反射的に目覚しを止める。……う〜ん、今は何時だ? 時計を見る。…… 10 時? 11 時? ……そんな馬鹿な。それじゃ思いっきり寝過ごしてるじゃないか。……改めて時計をよく見てみる。……なんだ、時計が逆さだ。……正しく時計を読んだ結果、朝の 4 時半であることが判明した。おおぅ、これはぎりぎりではないか。

 ボクは駅務に入ってそろそろ 2 年になる、どこにでも居る駅員だ。ここは駅の仮眠室。さっきまで寝ていたのはボクが C 勤務、いわゆる宿直勤務だったから。昨日(正確には今日だけど)の終電が出た後に駅を閉めて、3 時間ほど仮眠室で寝ていたというわけだ。
 鉄道屋の朝は早い。始発電車が来る前に駅を開けなくてはならない。あくびをしながら制服に着替えて駅を開ける。さすがに 2 年も経つと、このくらいの事は半分寝ててもきちんと出来るようになる。今日も寝惚けた頭で始発電車を迎え、いつもと同じように一日が始まった。

 窓口に座って自動改札を通る人の列を眺めているうちに朝7時になる。そろそろ朝ラッシュが始まる時間だ。
 うちの鉄道も同業他社と同様、交番勤務体制を採っている。大きく分けて 4 種類の勤務時間があって、A 勤務の人は朝ラッシュの前に出てきて夕ラッシュの前に帰る。B 勤務の人はお昼過ぎに出てきて夜遅くに帰る。C 勤務は宿直勤務で、夜に出てきて深夜に仮眠してから朝ラッシュの後に帰る。他にも、2 時間だけの勤務とか連続勤務とかいろんなバリエーションがあるらしいけど、実はボクもよく解っていない。
 で、朝 7 時になると A 勤務の人が出てくるのだ。しかも今日から暫くは研修中の新人も来るらしいから、合計 3 人の勤務になる。楽になりそうだ。
 時間通りに来た A 勤務が大学の後輩の澤田だったので、これ幸いとばかりにちょっとだけ窓口を代わってもらう。仮眠室にあるゴミを捨てるという名目だけど、気分転換の面の方が大きい。悪いね、澤田君。

 それにしてもこの駅は不思議な構造をしている。駅務室と改札口が上りホーム下にあるのに、仮眠室は下りホーム下にあるのだ。だから駅務室から仮眠室へ行くには駅員しか通れない廊下を通って行くしかない。廊下の突き当たりにあるのが仮眠室。その何の変哲もないドアをおもむろに開ける……と、ドアを開けきったボクの目の前に居たのは…………着替え中の女の子だった。かわいい悲鳴があがる。思わずドアを閉める。え? なんで女の子が仮眠室に居るんだ? なんで女の子が着替えているんだ? パニックに陥ったボクの後ろから澤田の声が聞こえる。あのなぁ、新人君が着替えてるから開けちゃ駄目だなんて、そんな重要なことを言い忘れるなよ。とりあえずドア越しに女の子に謝って、澤田を小突いてから駅務室に戻る。
 もちろん、戻りながらも一瞬だけ目に焼き付けた画像を反芻してしまうのはお約束と言えよう。メガネがとても良く似合う、元気そうな、でもちょっとトロそうな感じがする子だったなぁ、とか思い出してニヤニヤする。そう言えば今気づいたけど、新人君ってのは女の子だったんだ。最近多いなぁ。でも労働基準法があるから、C 勤務には入って来れないよな。そんな考えの最後に来たのは、仮眠室のゴミは来週捨てればいいか、ということだった。

 そんなちょっとだけ美味しいハプニングがあった後の駅務室。とりあえず新人の佐藤奏子ちゃんには一通り仕事の流れを教えた後、臨時北口に行ってもらうことにする。あそこならこの駅がどんな感じで動いているのか一目で見られるし、大手メーカーの工場通勤者専用の出口だからトラブルもないだろうし、それにこの駅務室の窓口から良く見える場所だからトラブルが起きてもフォローしやすい。おまけに、いつもは人を配置していない場所なんだから、新人研修には打ってつけだ。
 ボクの判断が正しかったせいか、案の定、何事もなく朝ラッシュが過ぎていった……と思ったのはやはり半分寝惚けていたせいなんだろうなぁ。

 朝 10 時。朝ラッシュが終わればボクの勤務は終わり。う〜ん、今日も何事もなくいい一日だった、と駅務室の窓口で伸びをする……けれど何か忘れてるな。……ふと外を見ると臨時北口でぼーっとしている奏子ちゃんが見える。……あ、しまった、忘れてた。あそこは工場の始業時間の 9 時になったら閉めるんだった……。奥に居る澤田を見ると、ボクの目線の行き先を知った彼もあちゃ〜って顔をしている。いや、3 人居る時は、時間になったらあそこに居る人が閉めて帰ってくるはずだから、つい忘れちゃうんだよな。なんて言い訳しててもしょうがない、連れ戻しに行こう。のそのそと駅務室を出て臨時北口に向かう。うぅ、あまり気が乗らないなぁ。

 臨時北口の窓口は駅を見下ろせる位置にある小さい部屋だ。悪かった悪かったと謝りながら迎えに行くと、彼女は面白そうに駅を見ていた。どうやら人が動くのを上から見るのが好きらしい。
 でもそんな彼女に事情を説明したら、案の定、拗ねた。いや、拗ねるだけならともかく、実力行使に出た。手近にあった集札箱を手に取り、それをボクの頭の上で逆さにして、あかんべぇ〜をやって、窓口を飛び出て行ったのだ。突然の子供っぽい実力行使に呆然としてしまったボクの頭には、集札箱の中の過去 1 ヶ月分くらいの使用済みきっぷが雨というか滝というか、そんな感じでドバァーっと降ってくる。おまけにドアを力任せに閉めた時に壊れたらしく、押しても引いても開かない。これでは帰りたくても帰れないではないか。仕方ないから、床に散らばったきっぷを拾い集めながら救援を待つことにしよう。後は頼んだぞ、澤田君。

 200 枚近いきっぷを集めるのも 5 分あれば終わってしまう。それから 15 分くらいぼけ〜っと過ごした頃、しゅんとした奏子ちゃんが現れた。澤田に怒られたみたいだ。それでもボクの顔を見ると少し気力を取り戻したのか、外から窓口を覗き込んで文句を言ってくる。いや、どうして出て来ないのかって言われてもねぇ、ドアが開かないから出たくても出られないんだよ。そう言うと渾身の力を込めてドアを開けてくれた……う〜ん、やっぱり馬鹿力……って言うとまた閉じ込められそうだから止めておこう。でも、このままやられっぱなしってのも悔しかったから、今回の件は今度の休みにパフェを奢らせることでチャラにしてあげた。やったね。

 深森駅の仮眠室で正夢を見た奴には幸せが訪れる。そんな噂が流れ始めたのはそれから数ヶ月後のことだった。

とりあえず終われ(^^;


QDATトップ過去の作品を訪ねてまさに正夢カタログ「鉄っぽい本5」
Published on 1998/08/16 / Last updated on 1998/10/31
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