日曜日に晴海に行こうよ

大海原 洋(おおうなばら ひろし)


「ねぇ、今度の日曜日、どこかへ連れてってよ。」
 ネクタイと格闘する僕に話す声の主は、まだベッドの中。その言葉は寝言にしか聞こえない。
「明日香〜、まだ寝てるのか。」
「……寝てるぅ……」
 いかにもふとんと仲の良さそうな声だ。
「もう 8 時だ。起きんかい。この寝ぼすけが。」
 手近にある枕を投げつける。見事に命中。
「ふみゅ〜。」
 ますますふとんと仲良くなってしまったらしい。こっちは今すぐにでも出かけられる体制だというのに。
「早く起きないとまた遅刻するぞ。また課長さんから電話がくるぞ。オレ、知らないからな。」
「…………」
「もう知らん。勝手にしろ。」
 あっさりと見捨ててこっちの仕事を始める。えーと、今日のスケジュールは……げ、明日香の会社で仕事だ。……ってことは、無理に起こして首に縄つけて引っ張ってかなきゃならんってことか?
「なあ、明日香、頼むから起きてくれよ。」
「ん〜とねぇ……今度の日曜日、どこかへ連れてってくれたら起きてもいいよ。」
「なんでお前を起こすためにオレがそんなことしなきゃならんのだ?」
「じゃ、起きない。」
「…………もういい。いつまでも寝てなさい。」
「いいのかなぁ?」
「ん?」
「今日はうちの会社の仕事からでしょ〜? 私が行かないとまずいんじゃないのかなぁ〜」
 ベッドの中からにしてはなかなか挑戦的な言葉じゃないか。
「……なら今すぐ起きろ。」
「だからぁ、今度の日曜日、どこかへ連れてって。」
 仕方ない。しかし、なんでそんなこと言いだしたんだろ?
「……分かった。分かったから……起きろ。」
「やった。大成功。」
「なに?」
「何でもない。行ってらっしゃい。」
「あ、ああ、行ってくる……って、ちょっと待て。お前はどうするんだ?」
「私、今日は午後からなの。だから午前中は、お・や・す・み。あはは。」

 朝から気力をそがれた僕は、電車に乗って都心へ向かう。目指すは明日香の勤める会社。ここは小さな会社だけど、僕はささやかながら顧問料というお金をその会社からもらって生活している人間だ。
 昼までに仕事の話がとりあえず終わり、課長さんに誘われてお昼を一緒に食べに行く。こういった付き合いも営業の一部だから、疎かには出来ない。
 店先で課長さんと別れた後、次の仕事先に行く途中で、明日香とばったり出会った。
「明日香、今から会社か?」
「そうよ。」
「重役出勤だな。」
「まあね。」
「威張ることじゃないだろ。」
「あはは。ところで、朝の約束、ちゃんと覚えてるわよね。」
「ああ、まんまと騙されたけど、約束は約束だ。ちゃんと連れてくぞ。」
「ありがと。で、行き先、私が決めていい?」
「いいけど?」
「やったぁ。じゃなくて、えと、じゃ、また夜にね。」
「あ、ああ。」
 う〜ん、自分勝手なやつだ。それがいいところでもあるんだけど。

 夜はいつも僕の方が早く帰ってくる。まあ、時間が比較的自由になるというのが自由業の特権だ。
 外の階段が音を立てているということは、明日香が帰って来たな。
「ただいまぁ。さて、ビール、ビール。」
「お前なぁ、帰ってきていきなりビールか。」
「いいじゃない。(ぷしゅ、ごくごく)」
「オレにも一本よこせ。(ぷしゅ)って、オレが開ける前に、もう一本空にしてるじゃないか。」
「悪い? 労働の後はすぐビール(ごくごく)。これが最高よね。」
「まるでおやじだな、おやじ。ところで、日曜、どこに行くか決めたのか?」
「(ぷしゅ、ごくごく)えっとね、晴海にしたの。」
「まだ飲むのか。じゃなくて、晴海?」
「そう、晴海客船ターミナル。たまには海と船を見に行くのもいいんじゃない?(ごくごく)」
「(ごくごく)ま、姫のご要望ですから、お付き合いいたしますよ。」
「うむ、それで決まりじゃ……なんてね。頼んだわよ。」
「はいはい。」
「ふぁ〜〜、ビール飲んだら眠くなっちゃった……おやすみぃ(ZZZzzz...)」
 まったくもって自分勝手に寝てしまう。まあ、いつものことだ。一人取り残された僕は、周りを片付け、そのついでに明日香をベッドへ放り込む。どうせまた朝まで起きやしないんだ。
 テレビを見ながら、一人で残りのビールを飲む。明日香の寝言を聞きながら。
「ふみゅ〜はるみぃ〜」
 どんな夢見てるんだか。

 日曜日。明日香の方が早く起きて、僕を叩き起こしてくれた。こいつは休みの日になると早く起きるやつなのだ。そして僕は休みの日には休んでいたい人だ。だから普段とは逆の立場になってしまう。
「この電車に乗って、あとどうするんだ?」
「ほら、東京駅まで行って、バスに乗るの。」
「バス? で、晴海までどれくらい?」
「ん〜と、全部で 1 時間くらい。」
「じゃ、オレは寝てるから、着いたら起こして。」
「はいはい。おやすみなさい。」
 休みの日は彼女の方が元気。これは出会った時からの鉄則。知らないうちに心地よい眠りに落ちていった。

「起きて。もう晴海だよ。」
「……ん? 晴海? もう着いた?」
 知らないうちに乗り換えていたらしい。しかも、電車からバスに。全く記憶がないのが怖い。
「ほら、あれ見て。」
 半分寝ぼけているボクにお構いなしで彼女が指差す方向は海。そこにはとても大きな船がいた。展望デッキへと歩くうちに目が覚めてくる。
「もしかして……あれ、飛鳥?」
「そう、飛鳥。今日はこれを見に来たの。」
 日本が誇る豪華客船“飛鳥”。明日香と同じ名前の船。どうやら出港準備中らしい。展望デッキから見る飛鳥はとても綺麗だ。それよりも、日曜日の明日香は子供みたいだ。
「この前ね、課長さんが豪華客船が晴海に来るよって話してたから、いつ来るのかを調べておいたの。」
「で、オレを引っかけた訳だ。」
「それは……ごめ〜んなさい。」
「まあ、夕飯一回で手をうとうじゃないか。」
「わ〜い。ラッキー。あ、出港みたい。」
 飛鳥が出港の汽笛を鳴らす。信号旗が出港を示すものに変わる。甲板では乗組員が手を振っている。乗客も手を振っている。展望デッキにいる人もみんな手を振っている。そして、僕も手を振った。明日香も手を振った。
 飛鳥を見送りながら子供みたいにはしゃぐ明日香を見て、こんな日曜日でもいいかな、なんて思った。

 またそのうちに、明日香は言い出すんだろう。その言葉は絶対にこうなるはずだ。
「日曜日に晴海に行こうよ」
 その返事だって決まっている。
「そうだね、またアスカを見に行こうか。」

〜 fin 〜

※ “飛鳥”は 1998 年 2 月に晴海に寄港しています。3 月に横浜港で世界一周クルーズの船が 3 隻集まったのはテレビなどでも話題になりましたが、ちょうどその前の時期です。東京湾クルーズなどをしていたようです。


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Published on 1998/03/29 / Last updated on 1998/10/31
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